お腹が空く。摂取カロリーとしては十分すぎるのに、何かがまだ食べ物を求める。
ダイエットされている方は共感してくださるかもしれません。
何かの正体とは一体何なのか。これはおそらく、身体に刻まれてしまった快楽の基準です。
もっと食べろ、食べたらもっと気持ちよくなる。
まあでも、これが根本的に悪いもの、現代に合わないものですが、生物的には間違ったものではないです。
この話はあくまでも導入で、ここからが本題です。
一時、僕はそんな話のように、自分が生まれたときから必要なものを持っていた、ということに気づいていませんでした。気づいたきっかけは思い出せませんが、自分にとって大切なものは、生まれたときから持っていた、ということに気づいたことがあります。
タリナイ。
そう足りないんです、何かが。ずっと何かが足りない。
ないものを求め続けて、あるものを食らいつくして、それでもなお足りません。
病的な何かの足りない基準、それを求めて、僕は色々な行動をしました。
それでも、もちろん足りません。
しかし、気づいたら、足りないのに、まだ足りないのに。
大事な家族や親戚、友人、知り合い、仕事、趣味、こんなにも色々なものを持っていました。
こんなに大事なもの、大切なものがあるのに、僕はこれ以上、何を欲しがっているのか。
それでもなお、欲しいものがあります。
でも、意識できた感覚として、これからはちょっと違います。
「僕は十分満たされている。それでも、欲しいものがあるんだ」
そうやってこれからも求めて参りましょう。
写真はたしか、中秋の名月が、朝に残っていたもの。