言いたいこと言うやつに言うやつ(秩序の為の批判)

僕は一体何をしているんでしょうか。どうしてタイピングをして、何をブログ記事にして投稿しようとしているんでしょうか。
最高の計画を立てようとTwitterに呟きましたが、僕にとって最高のブログ記事とは何なんでしょうか。
どうも、イケダハヤトです。まだ仮想通貨持ってないの?
今日は毎日の勉強の継続性のようなことについて、熱く語っていらっしゃいました。基本的に仰る通りだなー、なんて読んでいました。

こうやって書こうという構想はあります。最近になってパターンはある程度完成しております。
でも、なんか違うんですよね。
一つはこれくらいじゃー楽しんでもらえないでしょーWordPressで綺麗にまとまったチラシの裏でしょ、という内容の濃さだと客観的に認識しており、もう一つは僕の情熱が足りていないなと、なんかこうもっと熱いものを書き殴らないといけないでしょうよ、くらいの、これは違うという感覚ですね。落語レベルの芸術性を担保したいな、と素朴に思います。
テンポ、リズム、声質は感じてもらえないかもしれませんが、言葉のインパクトはラップに敵わないのかもしれませんが、テクストにはテクストのよさが間違いなくあるんですよね。それを活かしきれていない。
このひと段落くらいの情熱を注ぎ続けたいです。

特に炎上商法したいとは思っていません。それは賛否あり、意見の確定をしていませんが、とにかく他者を思いやり過ぎて何も言えなくなる社会はそれはそれで不健全なのではないか、と感じます。独裁政権の国家のようです。
でも、リプファイヤー(炎上の一部になる書き込みを必殺技のように表現してみた)なんてやってて本当に楽しいんですか。
他人の悪口を書き込み続ける人生が楽しいなら、いや、いいんじゃないですか。それで救われるというならどうぞ。
僕はしませんそれだけです。

これから僕はラップを本格的に行うと思います。
しかし興行としてでも、ディスという行為をしない方針でいます。
誰かの悪口を言ってお金稼ぎたいですか?稼ぎたいなら止めません。生きるためにはしょうがないかもです。
僕はしませんそれだけです。

ダジャレという冗談は空気を壊すこともありますが、基本的に自虐的で、誰かを傷つけません。
だから僕は好んで使用するんですね。まあ、ラップというかライムと似ているという理由もあります。
批判することを批判しているようですし、批判することが絶対的に悪い、と伝えたいんじゃないんです。
僕は秩序を守りたい方の人間なんでしょう。システムじゃなく個人の味方になりたいですが……。

つまり、徐々に叙々苑の秩序をジョジョが守るじょ、とかもうおわるまる。

ちょこっとご時世

BPOはとくダネ!を放送倫理違反と判断いたしました。
BPO、「とくダネ!」2特集に放送倫理違反と判断

まず、朝のニュース代表くらいの勢いの番組が、なんという失態でしょう、ということです。僕もよく見ます。
放送倫理違反は早くネットにも浸透するべきだと考えます。そういう流れはないのでしょうか。

放送倫理とか言い出すからテレビはつまらなくなった、という考え方もあるでしょう。
そういうことは現在ならインターネット(動画配信サイト)とか、そういう新しいものが培っていけばいいと考えます。

あんまり関係ありませんが、Facebookが仮想通貨の広告は出さないという行動を取るようですね。
もっと胡散臭い(というより詐欺サイトの)広告が山ほどあるのに、そっちの方をなんとかした方がいいのではないでしょうか。
ああ、でも最近ほとんど閲覧していませんので、古いお話なのかもしれません。

そういやもうすぐバレンタインデーですね。
どこかのチョコレートメーカーが「義理チョコをやめよう」という広告を出して、おお、やるなー、と思いました。
本当にやめたらいいんじゃないですかね。

つまり、ちょこちょこチョコをちょこっとね、これはBABYMETALの歌詞から浮かんでますね。おわるまる

初めに何から勉強するのか。

0.はじめに
あえて固めの文章で書きますが、筆者の偏差値は現在でも50あるかどうかだと思われます。
高校生のときに受験勉強の要領が全然掴めず、偏差値の高くない大学へ行くことになりました。
しかし、そこでトップクラスの成績を収めます。もちろん、他の学生たちのやる気がないこと、そこだとできる方だったということを考慮して、これから書くことを全然信用しない、という考え方も否定しません。まあそういう人はこんな記事は必要ありませんから問題ありません。

本当に頑張りたい、勉強しているのに成績が上がらない。むしろ勉強の仕方がわからない。何でもいいからすがりたい。
そんな皆に僕が培ったあらゆる筆記試験勉強の概論を、お伝えしようと思います。

1.勉強するということはどういうことか
とてつもなく当たり前、と思ってくれる人は大丈夫ですが、勉強するって本質的にどういうことなのか答えられるでしょうか。それは「覚える」「記憶する」というほぼこの点に尽きます。
何を言っているんだ、数学の問題は計算しないといけないじゃないか、考えないといけない問題は山ほどあるじゃないか!という反論は少し的を外れています。じゃあどうやって計算するんですか。覚えた知識を使用して、ですよね。どうやって考えるんですか。言葉がわからないと考えることもできません。
とにかくまず始めに、言葉を覚えることから始めないといけないんです。

2.何の言葉から覚えるのか
急にグローバルな視点になりますが、基本は母国語を自在に使用できないと、外国語なんてなかなか使えません。なんか喋れたり喋れなかったりするんだよな~なんてムラのある能力になってしまうでしょう。
「いる」の尊敬語、謙譲語はすぐ浮かびますか。
まずは現代文の古文・漢文以外、「論文」と「小説」を極めようとすることから始めましょう。

正しさを変える覚悟・祝福される子ども

空は明るいですが、少し積雪していますね。
公共交通機関は問題ないと思いますが、自動車の事故にご注意ください。




昨日・今日で具体的に何かやめることにはならなそうですが、僕が「正しい」と考えていることをやめるかもしれません。
現状それでうまくいっていればいいんですが、ギリギリなんとかと感じますので、変えるべきと考えます。
自分の人生と向き合う覚悟ができたようですね。

先の話題とは関連がありませんが。
僕は結婚していないし子どももいませんが、妹夫婦がそれらの経験をいたしました。
子どもがどれだけ皆に愛されて生まれてくるのか、間近で感じることができました。
世界規模で見るとそうじゃないこともあるかもしれません。
でも、少なくともこの日本において、そういう子は少ないだろう、と推測します。

あれだけ愛されてくる子どもが、肉体的・精神的に苦しんでいる姿なんて見られません。
人間はすべて、もっと自分を大事にしてもいい、と本気で思っています。

東京の雪、都会に住むということ

こちらは雨。都心では雪のようで、わりと本気で条例で大雪の日は休みにしたらいかがですか。
そうでもしないと住もうと思いません。
まあ僕の需要なんて不必要ですけれどね。




都会で住むということは、他者と近くに住む利益を購入していると考えられます。
そこには需要があり、ビジネスチャンスがあります。田舎に仕事がないので都会に出てくるという選択を取らざるを得ないことが多々あるんですよね。
でも、幸せなことに僕は名古屋生まれなんです。
実家がいい立地に構えてあり、逆に田舎に住もうか、なんて考えないこともありません。
当たり前であることで、見えなくなることもあります。
ただ恵まれている、とも考えませんが、マイナスがあるからこそ育つこともあるだろう、と考えます。
負荷、と言いますかね。