わりとどうでもいいツイッターをやめない理由。

わりとどうでもいいツイッターをやめない理由。

サブロク協定、だとっ!?
どうも、長時間労働が平常運転のナガラです。社畜と呼ばれても不思議じゃないと思いますが、本業がとても楽しいですね。また大きなミスとかすれば「僕は嫌だっ」とか言い始めるでしょう。そうならないことを祈りつつ、ですね。

Twitterを閲覧できる時間がかなり減少しています。
移動時間を充てればもう少し見ることができると思いますが、なんかそうしようともあんまり思えなくなっています。本来のツイッターってどうでもいいことをまったり呟くことを想定されていたというお話ですよね。それが殺伐とした議論の場になっています。炎上します。
少し考えると気づきそうなことが、とても有益かのように語られています。
笑えるものはいいです。でも特に固そうなツイートに対して「どうでもいいなぁ」と思ってしまうようになりました。
もしかしたら充実している証拠、と考えてもいいかもしれません。
Instagramでもやりますか。いや、今以上に興味ない気がします。アップロードできませんし。おっさんのコンテンツなんて価値ないと思います。ラップドラムはいいかもですが、Youtubeでいいでしょう。

逆説的な話になります。
でも無駄というか無意味というか、どうでもいいことが、面白いと感じるのが人間です。
一番の娯楽は勝負事だと思いますが、多くのスポーツが他の分野で活躍できることが少ないように、ボールを蹴るなどそれ自体には意味がない、無意味だろうというものなんですね。
常に意味のあることばかりするのも、しんどいでしょうね。

だから僕は今でもツイッターのアカウント削除したり、ブログの更新を完全にやめようとかしないんですね。
情報発信?いや、そんな大それたことじゃないし、深い意味もありません。
でも、これからもテキストで語ることをやめることはないと考えます。

物書きに憧れたあのとき。
現在の僕はそういったものではないけれど。
あのとき頑張った僕が、なんとかなんとかこの僕を支えています。

つまり、なんと都会とかのトカゲがじっと影から溶かす……うん、終わります。